0と1の反復横跳び

デジタルな仕事とアナログな趣味の記録

看板背負って生きるということ

先日、野暮用で外出する際、死ぬほど迷惑な車に遭遇した。 前が詰まっているのにも関わらず、交差点内に無理やり突っ込んで、他進行方向の車両の通行を妨げるやつだ。

遭遇ポイントはこんなことがしょっちゅうなのでまたいつものか、と呆れるばかりだったのだが、はたと気が付かされた。

その迷惑車両というのは、某設備メーカーの営業車だったのだが、 他の通行人が○○(メーカー名)クソ迷惑だなとごちていたのである。

たった一回、この出来事のせいで、この通行人の中では○○=クソ という構図が出来上がってしまったわけだ。

(おそらく)どの会社でも社内教育を徹底しているとはいえ、末端の構成員に教育が十分浸透しているか、というのは怪しいものがある。

実際自分もある企業の一員として生活しているが、知らないルールなんざ山のようにある。

だがどこで誰が見ているかわからない今の時代、看板を背負うということは、会社の評判に責任を負うこととイコールといえる。

看板は強い。逆に言えば看板のおかげで仕事ができるわけである。

企業の一員として生きる以上、看板のありがたさを肝に銘じ、恥のないよう努めねばならぬと感じた今日この頃であった。