0と1の反復横跳び

デジタルな仕事とアナログな趣味の記録

苦労すること

昔から「(若いうちの)苦労は買ってでもしろ」と言われてきたように思う。

伝聞のようなものだろうか。 だが、なぜ苦労するべきなのか、その核心については明確に書かれないことがお約束のような気がする。

僕の個人的な解釈は、「色々な経験を積み、その過程の中でもがき苦しんだら、自ずと道は開拓されるだろう」といったものだ。

先日、母校の大学(元職場)に行ってきた。

後輩が卒業するので、ささやかだがパーティーをやるとのことであった。

前に行ったのは昨年の夏ごろなので、実に半年以上ぶりだろうか。

久しぶりの人もいれば、新しいメンバーもおり、非常に楽しい時を過ごせた。

その中で、各々今は何をやっているのかという話題になった。

皆色々なことにチャレンジしており、非常に楽しげに語る姿が印象的であった。

学生という立場で沢山の時間を費やし研究に取り組む者もいれば、仕事で任される範囲が広がり、 改めて覚悟を決めた様子の者もいた。

もちろん僕も自分なりに喋らせてもらったのだが、この一年、いや生まれてからの二十数年を思い返してみるとどうだろうか。

正直、客観的にどう見られているのかは知らない。僕の知る人々はみな優しいので、肯定的なことを話してくれるし、 それに甘えている節さえある。

胸を張って、何かを苦労、努力の末に成し遂げたのか、と言われれば怪しいものがある。 人よりコーディングが上手いのか?プレゼンや説明が上手いのか?そんなことはない。

そして今、何かを成し遂げるための過程にいるのか、と言われればそれも違う気がする。

もしかしたら今、この一瞬だけは「明日からやるんだ。変わるんだ。」と決意するかもしれない。

だが、きっと次の日にはきれいさっぱり忘れて、陰鬱な気持ちのまま、日銭が稼げる程度の仕事を適当にこなして終わる。

正に丁度、人生の岐路に立っているといえるだろう。

プライドをかなぐり捨て、苦しい道を率先して選び、歩めるか。

それともクソみたいなプライドを守るために、せこいやつになるのか。

正解はない。

最後は自分次第である。

そんなことを考える年度末、最終週の日曜であった。