0と1の反復横跳び

デジタルな仕事とアナログな趣味の記録

エンジニアとして映画「Winny」を観て思ったこと

先日、Prime Videoに「Winny」が配信されていることに気が付き、視聴した。

封切の時からみたいなと思っていたのだが、結局映画館で見ることはかなわず、インターネット経由で見ることとなった。

僕は当時(事件~無罪確定まで)まだ子供だったし、その内容ほとんどを知らないが、エンジニアとして思ったことを書いてみたい。

時代背景

まず、Winnyについてよく知らなかったので、軽く調査した。

logmi.jp

Winnyの初版は2002/5/6のリリースとのこと。 僕はギリギリ生まれている時代か。

Windows XPが2001年リリース、Pentium4は2000年とのことなので、一般ユーザーは2000にPentium3とかそんな時代だろうか。

幾度とないバージョンアップを重ねたのち、2003年11/17が最終版とのことで、公式な開発が進んでいたのはたった1年半そこいらという事実に驚く。

当時は今と違ってクラウドサービスもなければ、SNSもない時代。

確かに2chWinnyでファイルを共有するのが当たり前だった時代なのだろう。

金子氏のエンジニアとしての理念

ここからは映画を見た感想と僕の想像で話を進める。

まず、金子氏のエンジニアとしての理念だが、作中でも色々な表現がされている。

僕の印象に残ったのは作中で、金子氏が「匿名性を担保したい情報を共有するためのツールとしてWinnyを開発した」といったことを述べる法廷のシーン。

上記の時代背景を踏まえると、2chでファイルをやり取りしたいケースというのは多々あったはず。

だがそこは匿名掲示板(実際にはIPで特定できるが)、送受信の相手を知らないでデータ共有をするためのニーズに応えるという使命があったのではないだろうか。

例えば共同開発しているソースコードをやり取りしたいケース。

今ならgitでpush、pullなりすれば一発だ。所属団体とか本名を書かなければ、まず相手を特定することは難しいだろう。

だが当時はそんな便利なツールはほとんどなかったはずで、制作者自身も欲しいと感じたことがあったのではないだろうか。

そこで実際に実装してしまうのが、凄腕たる所以なのかもしれないが、自分が使いたいかどうか。形にしたいかどうかが氏のエンジニアとしてのマインドではないかと想像する。

もう一つ、凄い印象に残っているのは意見陳述の場でプログラムを書き出すシーン。

弁護団が金子氏の技術への情熱をアピールするためのアイディアとして、陳述時に自作プログラムを動かすという場面があるのだが、そこで、動かしているプログラムを修正しだすという表現があった。

これが史実なのかは別として、考えを即座に表現する応答性というか、反応速度の高さ。これは技術を愛する者そのものだろう。

僕のエンジニアとしての理念‘

そもそも、自分が今の仕事(エンジニア)をしているのは、(自身の能力とか人間性を考慮した上で)おそらくまともに食っていける職業だと思い、またそれに同意してくれる人(会社)がいたから。

とはいえ今の時代、AIに大量のデータを学習させれば並みのエンジニアと遜色ないコードを書かせることはやぶさかでないし、じゃあ僕はもういらない存在なのか... といったら怒られそうだが、今回の映画をみてちょっと価値観が変わった。

それは「考える葦になろう」ということである。

僕はすごく実装力があるわけでもないし、革新的なアイディアを創造するようなタイプでもないと思う。

だが考えることはできる。

問題を見つけ、考え、解決するのは人間だからこそできる。

技術を生み出し、技術を使い、技術を広める。 人間だから技術をコントロールできるのである。

時には失敗があるかもしれない。 だが失敗を活かし次に繋げられるのは人間にしかできない。

それがエンジニアなのである。と思う。

最後に

僕はこの映画を通じて、失敗してもよいのだ、ということを読み取った。

だが失敗を放置してはいけない。

拾い上げ、修正する。

ただし悔いのないようにすること。 それがエンジニアとしてのプライドというものだろう。