ジョージ・オーウェルの1984年といえば,泣く子も黙るディストピアSFの金字塔だと思う.
本好きなら間違いなく一度は手に取ったことがあるのではないだろうか.
私も本好きの端くれなので,勿論読んだことがある.
この作品を簡単に要約するなら,巨悪には立ち向かえない.といったところだろう. 少しネタバレをしよう. 主人公は真理省という政府機関(巨悪)の一部で働いている.この真理省というのは,簡単に言えばプロバガンダを操作する部隊である.
しかしプロバガンダを操作する中で,この政府はおかしいんじゃないかと思い始める.
で,同士の女性や上司(裏切り者)をみつけて立ち向かおうとするが,あっけなく捕まり洗脳されるという流れだ.
で,本題に入る. なぜ大企業がディストピアなのか.
それは簡単だ.末端の人間はトップが何を考えているのかわからず,ただ粛々と目の前の業務に携わらなければいけないからだ.
無論こういった企業ばかりではないだろう.しかし,僕が仕事をしている中で一日たりともこの作品のことを想わなかった日はない.そのくらいには違和を感じるのだ.
例を挙げてみよう. 例えば,組織変更.
組織変更ってのは本来コロコロやるべきものではないと僕は考える. というか最初にきっちり決めておくべき案件ではないだろうか.
会社が大きくなるということは,人が増えるということである.つまり業務が単純に増えることにつながる. 業務が増えると,細分化したくなる.そうすると部署がたくさんできる.ラーメン屋さんだったらスープ担当,メン担当,接客係といったように,いも芋づる式に部署が増える.
そうすると収集がつかなくなるので,たまに部署を整理するわけだ.
しかし,よく考えてみるとこれは社内の違う連中が何をやっているかわからないようにするための隠蔽工作なのではないか?そう感じることがある. 純粋に非効率的だし,少なくとも社外からの印象は良くないと思う.会うたびに部署名が変わっていたら気が気じゃない.
次はライフサイクルである. 始業は8:30,終業は17:30.昼休みは12時から1時間取りなさい. お前の勤務地は工場でど田舎なので,昼飯は会社内の食堂が使えます.
これはもうディストピアそのものだろう.
少なくとも僕のところはこんな感じだ. 朝満員電車に揺られてオフィスに着いたら昼まで座りっぱなしだ.そして昼を摂りに食堂まで行くが,それ以外で用がないなら自席にいなさい.
奴隷そのものである.
オフィスが都心にあって,昼にサクッと出れたり,外回りであちこち飛んでいる人ならいいかもしれない.適度な気分転換ができるだろう. しかしデスクワークで社屋に詰めているようなエンジニアからすると,まさに大企業=真理省なのである.
最後は社会制度そのものだ. 会社に所属して大人しく仕事をしておけば,給料がもらえる.更に社会保険や税金といった諸々の手続きはやってくれる. なんなら家も提供してくれるし,ネームバリューのある会社なら結婚や家を買うためのローンを組むことも容易だろう.
しかし騙されてはいけない. 会社からしてみれば,労働者なんぞ誰でもいいわけだ.それなりの人参をぶら下げて,いうことを聞いてくれさえすれば誰でもいい. そう,代わりなんぞいくらでもいる.
その証拠に使えないと思ったら評価を下げ左遷させたり,パワハラで辞職に追い込んだりする.なんなら過労死させてもいい.
これだけならまだマシだ.
労働者は与えられた仕事を熱心に取り組んだだけなのに,一度業績が悪くなればやれ早期退職プログラムだのリストラだの平気で仕掛けてくる.
会社というのは恐ろしいものだ.
何だか会社への愚痴みたいになってしまったが,何を隠そうこれは愚痴そのものだ.
明日も電車に揺られ出勤する.給料袋というにんじん棒がぶら下がっているから.